発想の方法

  • 前回に引き続き春菊がらみの話。僕はわりと設定型の人間なので、シーンから先に作っていくような話の作り方はしません。世界、土地、人間関係、そういったものから先にまとめてしまって、その中で動かして見る。そういう方法の方が多いです。ですけど、テーマが「春菊を生でばりばりと食べる」(前回書いたのと少し表現が異なりますが、こっちが正解) であるならば話は別でしょう。なんと言っても行為ですし。まあ、春菊を生でばりばりと食べるウサギさんが登場して、読者に野菜を好き嫌いなく食べることをうながすような童話も考えないではなかったのですけど、やっぱりまずは、シーンを作るべきでしょうね。
  • なんでこんな書き方をしているのかと言えば、少なくとも書いたものをそのまま載せるのは意味が薄い以上、書き物が出来上がるまでの過程を内輪向けに見せた方が面白くなりそうな気がしたから。まあ、つまらなくても見た人の自己責任なので悪しからず。
  • で、シーンです。春菊を生で。苦いです。苦すぎます。これは一種の自虐、自傷行為でしょう。そして苦味という味の表現。辛い→怒り、酸っぱい→恥じらい、甘い→幸せ、のような対応関係を適当にでっち上げるなら、苦い→苦しみや悲しみ、なのでしょうきっと。つまり春菊を生でばりばりと食べるシーンでは、主人公は苦しみや悲しみの中であえぎながら、自分を責めるわけです。でも、なぜ春菊? きっとこれは、主人公の苦しみに密接に関係があるのでしょう。たとえば、自分のせいで喪ってしまった(と、主人公が思い込んでいる) 人、がよく作ってくれたものが春菊を使った料理。で、その人が喪われた空間に、春菊だけが残される。その人のことを思い出しつつ春菊を手に取るも、料理をする事が出来ない、と言うより苦手な主人公は、料理もせずに春菊をなまでばりばりと食べ、その苦味で自分を苛む。そんな感じ。暗い〜 暗すぎる。でも、春菊を生でばりばりと食べる事が好きな変態さんが活躍するような超能力格闘アクションよりはマシかと。