自分の趣向について西尾維新をからめて考えてみる

 サークルのミートの帰りの電車の中で、後輩と話していて、自分の趣向について考えるヒントがあったのでそこからの派生。
 話の内容は、僕が、「きみとぼくの壊れた関係」と、「新本格魔法少女りすか」の2つを読んでの感想みたいなもので、僕は「きみぼく」は嫌いだけど、「りすか」はそれなりに好きで、後輩の方でいまいちな評価だった「りすか」の主人公「供犠創貴」を僕はそんなに嫌いじゃないと言った話。
 で、それなりに好き(嫌いじゃない)の分析は難しいので、「きみぼく」がどうして嫌いなのか? と言う話を考えてみる。これは多分、主人公の「櫃内様刻」性格のせいで嫌いなのではない、と思う。確かに主人公の人格は人間としてどうかと思うが、それは「創貴」も同じこと。ならば、何が悪いのか? おそらく僕は、そんな主人公を許容してしまう「世界」が嫌いなのだと思う。それはまさに「壊れた世界」なわけなのだけど、どうやら僕は世界が壊れてゆく様ならばともかく、壊れている世界はイマイチらしい。これは個人の趣向の問題なのだろう。
 僕はどこかで、人が壊れているのは仕方ないけど、せめて世界だけは、とか言うような甘ったるいことを考えているのかもしれない。
 さて、現実はどうでしょう?