エログロ?

  • エログロって結構敬遠され気味だと思う。それはおそらく、エログロが嫌いという確固たる意見を持った人が、それなりの数いるからだろう。エログロを嫌いと言う人がそれなりにいる以上、好きと公言することははばかられるのだろう。ちなみに僕は、好きではないけど嫌いでもない。ただ、最近少しエログロという表現手法には興味があったりする。
  • 僕は文章を書くとき、どうしても生と死というテーマを避けられない。避けようと思えば避けられるのだろうけど、ついついそっちに引き寄せられてしまう。そして、エログロというのは生と死を動的に表現する手法の一つだと思う。この時、エロとグロのどちらが生でどちらが死などと考えることは意味が無い。どちらも両面の性質を持っていると考える方が自然だ。
  • もしも、あえて生と死をエロとグロに対応させるのであれば、生=エロ、死=グロ、となるのだろう。だが、例えばエロの方が死の要素を孕んでいないかと言うと、そんなことは無いはずだ。「逝く」「昇天」などの表現は、要するに擬似的な死というものがエロに含まれていることを示唆している。また、グロの方はと言うと、やはり生の要素が有ってこそのグロだということは少し考えれば分かるだろう。生から遠ざかって久しい死体は、もはやグロくもなんとも無い。むしろ、死体よりも生きているものの方がグロい事が多いと思う。
  • ただ、エログロという表現は非常に加減が難しい。全体的に敬遠される傾向がある上、完全に毛嫌いしている人がいる以上、この要素を前面に押し出すことはかなり危険だ。まあ、読んだ人に嫌われても構わないのなら好き勝手すればいいのだが、まあ嫌われるのはあまり好きじゃない。というわけで、これをオブラートに包む訓練が必要かも。
  • 先ほどエログロが動的な生と死だと言ったわけですが、静的な方はどうかと言うと、僕の中のイメージは有っても、それを現段階ではまとめて説明するのが困難or面倒なので、いずれ機会がありましたら…… ということで。